カーリングはスコットランドで生まれたスポーツである。丸い石を氷の平らな床の上に投げて、遠くにある決まってる点の一番近い方の勝ちというルール。もうすぐ30代の私が見た事なかった、当然だけどね。なぜかというのはスペインにはそんなゆっくりペースのゲームはおじいさんしかやってないからのです。五輪の値と考えられないでしょう。
しかしなぜなら日本もカーリングチームが持っています。しかも選手が私より若い者です(ヨーロッパのチームは予想通り平均35歳に見えたけど)。ここで思わずにはいられない事の二つ。
一つ目は育ちの環境。日本カーリングチームの村がカーリングフィルドがそこそこあるみたい。学校のサークルに入る時に普通の選択だそうです。そんな技で今年トリノに行く事になって、テレビで放送されたり新聞で写真やインタビューがのせられたり有名になった。でもそれはそれで僕にとって想像のできない育ちです。特に練習の為。週に何回やってたかな。どんな技量があればいい選手になるか。要するに彼女たちにとってそんな解析を既に学んだことです。普通のスポーツだけではなく。スポーツのセンスが一般人と違うでしょう。
もっとラディカル的に考えるとエジプトで育たれたらくだ調教師とあったら、彼の人生と僕の人生はもっと違うですね。人生ってなに?誕生日プレゼントとしてなにが一番喜ぶ?など。だけど同じ人間を3歳の時にカーリング村に連れて育って行ったら、どうになりますか。当然にカーリング選手ですね。そして五輪が終わってからあの人と話してこう言えばいかがですか「ハキム、君の本来はエジプトです。エジプトに帰国しなさい。そしてらくだトレイナーとしてお金を稼ぐのだ」。もちろん、ハキム君にとって考えられない事である。らくだって見た事ないかもしれないし、もしかしたらカーリングを続きたい。
住めば都より、「育たれたよに人間が考える」という判断。ハキムがエジプトに帰ってから、そしてらくだ営業を始まってもカーリングで習った常識を使うでしょう。たとえば今度とんでもないスポーツが見ても、びっくりではなく真剣にそのスポーツの何かあればいい技量を考え始まるかもしれません。
思った事の二つ目はチャンスです。機会。カーリングはバ野球やサッカーと比べるとマイナーな活動と思われてもおかしくない。冬季オリンピックでいうとスラロームや氷滑り。友達にスポーツとして何かしていますかと聞かれたら、なんだか「カーリング」と答えがたいかな。まず説明をしなければならない。そして文句が来るかもしれない「それはスポーツと言えないね」とか。
ところがどうやら今年カーリング以外の日本選手は結果全然出していない状態になりました。15番目だったりして、あまり目立たない。きっと期待されたのに。しかしカーリングの子たちが目立った、マイナーのスポーツなのにうまくできたから。これに関してスペイン語ではことわざがありますが「獅子のしっぽよりネズミの頭」。目立つ、そして技を磨くチャンスが多いから。
ちなみにドラゴンボールのゴクもそうだった。数学が得意じゃなかったが、うまくできるを、そして愛した活動で生活にしたたとえ。漫画だけれどね。
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